世界で一番黒い黒
茨城県のつくば学研都市の中にある、独立行政法人CNTチームという所を訪れたことがあります。
これは最先端技術であるCNT、つまり「カーボンナノチューブ」を研究している施設です。
美術をしている僕が、どうしてここを訪れたのかといいますと、デンマークでの展覧会に出品する作品の素材を探していたからでした。
デンマークの展覧会は、アートセンターが企画したグループ展であり、タイトルが「コスモス」でした。宇宙とか秩序と言う意味になります。
20人ほどの欧米のアーティストが参加しますが、東洋人は僕1人でした。
企画した人は、西洋と東洋の宇宙観の違いを見たいのだろうと思いました。そこで僕は、古代日本の宇宙観に関する本を数冊読んだりしていました。
そんな時に友人から、世界一黒い物質が日本に有ると聞いたのです。
僕は、世界一黒い物質と言う言葉に強くひかれました。そこで、これを作品に加えたいと考えたのです。
インターネットで調べてみると、「世界一黒い物質」は、つくばで開発された最先端技術とありました。
黒が黒に見えるというのは、「光を反射しない」ということなのです。黒い絵の具でも光を当てると、反射して白っぽくなります。
全ての光を反射しないもの、又は発しないものはこの地球上にはありません。
それは、ブラックホールなのです。
カーボンナノチューブで作った黒が、今のところブラックホールの黒に一番近いということになります。
カーボンナノチューブとは、炭素原子がチューブ状に結合した物質です。原子が一個入るほどの、ナノ単位の竹輪のようなものです。
これを平面基盤上に、森のように生成させて作ります。カーボンナノチューブ・フォレストと呼ばれます。この縦向けのチューブは、入った光がほとんど出てこない構造になっています。
僕が考えたのは、10cm角のCNTプレートの上に、風の力を使って、黒いインクでドローイングを描くというものです。
黒の上の黒、神秘的でしょ。
この作品を作るために、世界で一番黒い黒を手に入れようとしたのです。
まず、CNTプレートがなぜ必要なのかを書き綴った分厚い説明資料を作って、つくばへ郵送しました。
案の定、なしのつぶてなので、メイルで再度お願いしました。
すると、ていよく断られました。
これであきらめては面白くもなんともないので、せめて一度この眼で見てみたいとメイルを送りました。
こうして、やっと見せてもらえるところまでこぎつけました。
梅田から夜行バスに乗って、翌朝10時に研究所のオフィスに着きました。応対してくれたのは技術者ではなく、秘書でした。
サンプルのCNTプレートは、しっとりと湿気を帯びて、沈むような黒でした。
触れることができないほど弱い物らしく、持参した懐中電灯で丹念に照らしてみると、たくさんの傷が目に付きました。
実際にどれだけ黒いかを比較するため、となりに並べてあった焼付け塗装を施したプレートは、黒ではなくグレーでした。これはずるいと言わざるをえません。
とにかくこれをなんとか手に入れるべく、1時間熱弁をふるいましたが「無理です」という返事でした。秘書には権限がないので、言ってもしようがないのですが。
ダイヤモンドよりも高いと言われてもものともせず、いつ実用化されるのかと聞くと、分からないと言われました。
今話題の独立行政法人です。実用化できなくてもいいような役所仕事なのかな?と頭をよぎりました。
大阪へ戻ってから再度メイルを出したところ、大人気なく「あかんものはあかんのじゃ」でした。
これで終わるようではアーティストではありません。
そこまで言われては、世界一黒い物質よりも、もっと黒い黒を見つけなければなりません。
それはなんだと思いますか?
それは、黒い瞳です。
ロシア民謡の黒い瞳、ジプシーの女性の煽情的黒い瞳、アルゼンチンタンゴの黒い瞳、フリオイグレシアスの黒い瞳のナタリ、これはブラックホールよりも黒い黒。
この黒で作品を作るには、恋をするしかないでしょう。
間に合えばいいのですが。