遠き山に日は落ちて 第11話 祈祷師

祈祷師

ぼんやりとした視線の向こうで紫の煙が揺らいでいた。ずっしりと湿ったベッドへ横になると、そのまま深い眠りについた…

1976年にタイの北部チェンマイへ行った時の事です。この町で知り合った力車の青年に、山岳部族の祈祷師を紹介してもらいました。

タイにはヤオ、メオ、アカ、リス、チャイニーズと5つの山岳部族が住んでいます。どの部族だったのか思い出せませんが、その中の一つでした。

1時間ほど走り、山間に点在する質素な小屋の中でも、一際小さな家に案内されました。竹で組まれた小屋の屋根と壁は葉っぱで葺かれ、入った所が土間になっていて、その周りにふたつの寝床が面していました。

祈祷師は村で一番の権力を持っているものと思い込んでいた僕は、拍子抜けしました。

土間に入ると、鶏と犬が足元をすり抜けて表へ飛び出していき、小柄で細身の主人が笑顔で迎えてくれました。

夕方になると土間に座り込んで夕食をとりました。運ばれて来たのは小さなお茶碗に軽く盛られたご飯と、小皿にのった一匹の小アジでした。

祈祷師は笑顔ですすめてくれました。横では、祈祷師の妻が、抱きかかえた赤ちゃんをあやしながら笑っていました。

僕は、おかずが無くならない様に注意して食べました。僕が食べ終わると、母親は、僕のお茶碗にお茶を入れ、食べ残した小アジの骨と頭をお茶に漬けて、赤ちゃんに飲ませはじめました。

次の日から食事は断る事にして、村に一軒だけある小さな雑貨屋で適当にすませることにしました。

満天の星空になるころ、祈祷師がロウソクを灯して褐色の塊を練りだしました。それは、粒々が混ざっていて、柔らかくなると、箱から取り出した白い粉を少しずつ練りこんでいきました。

ロウソクに映しだされた箱には布袋さんの絵が描かれていました。よく見るとカタカナでノーシンと書かれていました。ロウソクに揺らめく彼の顔は、自慢げでした。

準備が終わると、ロウソクを挟んで向かい合わせに横になりました。竹パイプの先は、丸くなっていて、小さな穴が開いていました。

祈祷師は、そこに正露丸の様に丸めた褐色の阿片をのせ、ローソクの上で一口吸い、出来を確かめてから僕に手渡しました。

ジンと体に染み渡り、炎がゆらぎました。

パイプを返すと、彼もひと吸いしてから再び阿片をのせて手渡してくれました。数回繰り返しているうちに眠くなってきたので自分のベッドへ行き横になると、彼の妻が優しく枕を差し込んでくれました。

ぼんやりと眺めていると、さきほど僕が横になっていた所に、妻が横たえました。まるで子供を寝かせつけた後、夫婦で晩酌を楽しんでいるような慎ましい光景がロウソクの光の中で揺らめいていました。

バンコックの都会で阿片を吸う人達は犯罪を犯したり体がボロボロになったりと悲惨ですが、この夫婦は、親切でにこやかな表情をしていました。子供を愛し、動物をかわいがり、僕にはどうしてこういう事が可能なのか、今でも不思議です。

あんなに貧しいのに一度もお金を要求されなかったのも、不思議でした。

数日してから、「今日は一緒に付いて来い」と祈祷師が言いました。斜面を5分程歩いて訪ねた所は、彼の家よりずっと立派な家でした。屋根も葉っぱではなく板張りでした。

広い土間を使って祈祷が始まりました。入り口の柱には、日本の神社で使われている稲妻とほとんど同様の物が置かれていました。

二つに割った角を取り出すと、呪文を唱えながら空中に投げました。コロンと土間に落ち、この裏表が関係しているように思えました。

ひとしきり儀式が終わると、ご馳走が運ばれてきました。祈祷師は、好きなだけ食べろと言わんばかりの笑顔でした。

その日の晩は、村の空き地で映画会がありました。木の間に吊るされた白い布の前に子供たちが集まりました。発電機の音がパタパタと響くとアニメが始まり、歓声と拍手が山間をこだましました。

体中が蚤の痕だらけになったころ、村を出ました。祈祷師と妻と子供と、鶏と、犬が、来たときと同じように笑顔で見送ってくれました。

僕は、彼から多くのことを学びました。

その中で一番感じた事は、言葉でした。お互いに理解しようと思った時は、なんとなしにわかるものです。理解しようという気がない時は、たとえ母国語どおしであっても通じないということです。

リクオ

このお話のころのウエダリクオさん。パキスタンで撮られた写真だそうです。


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