講演会では、ウエダさんが芸術家になったキッカケというお話がありました。
こんなお話。
学生運動の盛んな頃、ノンポリだったのでガードマンのアルバイトでお金をため、ロンドンへの片道切符を買って旅にでた。
父母には3ヶ月で帰ると行って、3年間放浪。お金は3ヶ月目にはなくなって、売れるものは全て売って一文無しになったけれど、人間、金がなくてもなんとかなるもんだなあーと悟った。
シルクロードをたどって日本へ帰ろうとしたけれど、ギリシャ、パキスタン、アフガニスタンときて、無一文でインドに入れず、ドイツへ逆戻り。
ユースホステルで知り合った、イギリス人のピーターと橋の袂でハーモニカとリコーダーを吹いて小銭を稼いでいた。
ハーモニカは、乞食だと思われないために音を出していただけで、ピーターはリコーダを咥えているだけで音も出してなかった。
ピーターの誕生日に、なけなしの金でワインを買った。ピーターは、ウエダさんの誕生日にピアノを弾いて、ノートの切れ端に書いた詩をくれた。
ピアノのメロディーは今でも覚えている。
ピーターの詩
I think we think too much
And fail to see
In simple things reflections eternity
We are cut off our own life sources
And love lost source of
Joy and Ecstasy.
Peter
(要約:私達は考えすぎて一番大事なものを見失う。日常の中にあるものを大切にしよう。)
そのピーターは今は音信不通。
3年間に父母に手紙を出したのは、一回だけ。しかも「金送ってくれ」。しかも、送ってもらった金は届かなかった。
帰国して父と話した。3年間で何を学んだ?と聞かれ、何も学んでいない、人間は一人で生きていけないとわかった、と答えると、それで十分だと父は答えた。
父が亡くなるとき、枕元で「絵が売れた。」と報告したら、「なんぼで売れた?」と聞かれて、それが父の最後の言葉だった。
放浪中、一回しか手紙を書かなかったが、母が亡くなってから、宇久島でwind drauingの絵葉書を書いて、7枚、母に送った。(こちらのハガキ)
パンフレットにウエダサンの詩もあったので転載しておきます。
風 ウエダリクオ
僕は、チベットの山奥にあるであろう数億年の時を映し出す湖面になろうとした。
出来るだけ風の少ない日をえらんで。
空が湖底の翆にとけこみ、雲が流れ、時おり渡り鳥がよぎる。
風が吹き、全てを湖岸に運んでいく。
そしてなにもなかったように再び空が広がる。
すべてはすでに用意されていた。
僕は23歳だった。
あてもなく旅し、目的のないことに酔いしれる。
ノルウェーには雪があり、モロッコには砂漠があり、
アフガニスタンには山があり、インドには川が流れていた。
無一文でドイツをさまよっていた時、スコットランドの青年ピーターと出会った。
彼も一文無しだった。
誕生日の日に詩をくれた。
デンマークで風と出会った。
(この後に先ほどのピーターの詩が続きます。)