遠き山に日は落ちて 第14話 思い出のコロナ 20 July 2022

まだコロナの規制が強い2022年2月末、ドイツ、ボンの美術館で開催された現代アートの国際展 “UP IN THE AIR”に参加しました。

僕の作品は、風によって描かれた作品15点、そしてインスタレーションが展示されました。

その頃はまだ3回目のワクチン接種が始まっていなくて、外国からの帰国者は、1週間の隔離が必要な状況でした。

またドイツ入国時は、2週間の隔離となっていました。

さんざん悩んだあげく、リモート搬入しかないという判断に至り、フライトをキャンセルしました。

ところが、僕の展覧会をサポートしてくれているハンブルグのギャラリーから、ヨーロッパの文化都市事業をサポートしているEU・ジャパンフェスト日本委員会事務局長のKさんが欧州を活発に駆けずり回っているよと言う連絡が入りました。それを聞いた僕は、即フライトを取り直しました。

そこからがドタバタ劇の始まりです。

ギャラリーのSさんから3回目のワクチン接種証明があるとドイツでの隔離が免除される事と、欧州規格FFP2のマスクがいるとの連絡が入りました。これらが無いとスーパーマーケット以外はどこも出入りが出来ないとの事でした。

とにかく電話をかけまくったのですが接種券がないとワクチン接種は無理なようでした。

数日が経ち、運良くワクチンの接種券が届きました。またもや数10か所のクリニックに電話を入れ、やっとのことで3回目のワクチン接種を受けたのは出発の10日前でした。

ところがワクチン接種証明の発行は、郵送のみの受付で証明書発行には2週間以上かかるとのことでした。

右往曲折があり、これもなんとかクリアーすると今度は、ドイツ入国に際し事前にデジタル入国登録が必要となりました。この入力に3日間。この時、スマホとパソコンを使いこなせないと何もできないことをつくづく思い知らされました。デジタルは融通が利かないので僅かな事でもアラートが出て行き詰まるのです。

あとはFFP2規格のマスクです。どこにも売っていなくてウエブ購入しかありませんでした。

乗継国のコロナ情報を確認して、何とか目処が立ったのは、出発の2日前でした。スーツケース2つにインスタレーションの材料と道具を詰め空港へ向かいました。

美術館でのインスタレーション制作には、5日間をとっていました。

無事ハンブルグに到着しギャラリーで搬入の準備をしていたのですが、またもや問題発生です。ハンブルグのコレクターが持っている僕の作品を美術館が集荷する手はずになっていたのですが、コレクターが1週間のコロナ隔離になりました。

これもなんとか間に合いそうなので、ギャラリーのSさんが準備してくれたファーストクラスの特急でボンへ向かう事になりました。

ところがまたもや問題発生です。出発当日にドイツ北部を60年ぶりの巨大な嵐が吹き、倒木により電車が走れなくなりました。

嵐は数日続くと言うことで美術館からは、いつ来くることが出来るのかと心配の連絡が入りました。なんとか行けそうなルートを探して、2日遅れでボンへ入りました。

美術館で打ち合わせをし、ホテルに着くと、ドッとベッドに寝転がりました。その夜は、良さそうなレストランを探しコロナビールで乾杯!

ボン美術館は、洒落たデザインの建物で国立美術館や博物館などが隣接していました。搬入が始まり、壁面は、美術館のスタッフに任せて、インスタレーションを3日間で仕上げました。

事前に送っておいた図面で主要な部分を作っておいてもらった事と、その他の必要な材料を準備しておいてもらったので、予定通りに仕上げることができました。また、美術館のスタッフが優秀だったのもさいわいでした。

僕の作品が、他の作品と毛色が違ったので、美術館にとても喜んでもらえたことが嬉しく思えました。欧米とは違う東洋独特の繊細さを感じてもらえたようです。

欧米の作品には、政治的なものが多いのですが、僕はそれをできるだけ避けようと心がけています。あまりこだわると視野が狭くなると感じているからです。僕の中にもそういう作品はあるのですが、その時は出来るだけ直接的な表現を避けています。

4日目のカンファレンスでは、テレビのインタビューとラジオの取材がありました。館長、キューレーター、スタッフ皆が親切で楽しく作品を作る事ができました。

無理をしてでも来て良かったと、つくづく感じました。

始まりはEU-JapanのSさんでした。実際に、今回のインスタレーションは、リモート制作では無理な作品です。

オープニングの後、美術館のレストランでディナーがあり、作家と美術館スタッフとの交流を持ちました。全てにおいてサポートしてくれたギャラリーのSさんには感謝しています。

印象的だったのは、美術館の敷地内に停めてあったコロナ検査車です。近未来風で、ジュラルミンのトレーラーにブルーのネオンサインでコロナ検査車の表示がなされていて、さすが美術館と言う感がありました。

翌日、帰国の為にハンブルグへ向かったのですが、ここから再度のドタバタ劇が始まります。

ボンからハンブルグへ向かう途中、ケルンを経由するのですが、ここで電車から降ろされる羽目になりました。なんと、運転手が暴漢に襲われて床に倒れているのです。警官が多数乗り込んできて捕物劇が始まった次第。

なんとか別の列車をスマホで見つけてハンブルグへ着いたのは、もう夜中でした。翌日は、帰国用のコロナ検査を受けたのですが、メイルで陰性証明が届いたのが夜の10時頃でした。

ところが証明書を開くためのパスワードを忘れた為に、これを開くのに1時間かかり、プリントしようとしたところ今度はプリンターが不調でプリントできませんでした。

これをなんとかクリアーして帰宅できたのは夜中。

翌日の昼ごろにタクシーで空港へ行きゲートを通ると、いつもなら安心できるのですが、これからがまた大変でした。

搭乗口へ行くと3人しかいません。定刻になっても搭乗口に職員がいません。なんのアナウンスもないので日本人を見つけて聞いてみたらスマホの情報でロシアがウクライナへ侵攻したとのこと。ギャラリーのSさんからロシア上空が飛べないのでルフトハンザが引き返したと連絡が入りました。

僕の乗るフィンエアーは今の所、ロシア上空を飛べるとのことでした。結局、フライトは機器の不具合だったらしくて2時間遅れでヘルシンキに着きました。

遅延のために乗継が出来なくなったのでヘルシンキで1泊することになったのですが、フィンエアーもロシア上空を飛べなくなり翌日のフライトをどうするかとなりました。

南回りで帰ると乗継の関係で陰性証明の有効期限が微妙になります。情報が錯綜していて、いちど空港から出ると再度新しいコロナ陰性証明がいるとか言われて途方にくれました。

しようがないので成り行きに任せました。タバコを吸うため、深夜にホテルを出て積もった雪の上を歩いていると、気持ちよくて心が軽くなりました。

早朝にホテルを出て、とにかく空港に行きました。成田までの直行便に搭乗できることになり、搭乗ゲートに行くと人で溢れていました。

ここまでくると一安心、余裕が出てきたので愛用のマックブックを取り出すと、愕然としました。

すべての情報を入れているポータブルハードディスクが見当たらないのです。ハードディスクは4テラバイトもあり、幼少期から昨日までの僕の全てのデータが入っているのです。手のひらサイズの箱に全てが入っていると思うと情けなくなりました。多分、僕の記憶の中の方が素晴らしいものが入っていると思うのですが、鍵がかかっていたりするのです。

手荷物検査の機械を通した後、取り忘れたはずです。慌てて引き返そうとしたのですが場所が思い出せなくて右往左往、運良く日本人らしきスタッフを見つけたので必死で事情を説明しました。

真っ直ぐ行って右に曲がって左に曲がってまた右に、、、、、、説明してくれるのですが、僕には無理と言うと連れて行ってくれました。

検査官に必死で状況を説明すると、「そんなもの無い」の一言。これには慌てました。

僕はもう必死でした。しつこく食い下がると、これかと言って黒い小さな箱を見せました。見つかって運が良かったです。今度こそ無事に帰国できます。

なんとか成田にたどり着き、空港向かいのホテルでコロナの隔離が始まりました。

お酒もタバコも禁止で窓は開かないし廊下に出ることも許されません。1日3回ドアノブに吊るされた食事を室内に取り込みます。まるで刑務所です。

3日目にコロナ検査キットがドアノブに吊るされました。陰性結果が出た人には電話がかかり、隔離から解放されました。

東京の友人宅で1泊してから夜行バスに乗り、やっとの思いで大阪の自宅にたどり着きました。貧乏性なので新幹線に乗るのは勇気がいるのです。

大変な旅でしたが今から思えば、楽しかったなあー。

皆さんに感謝、感謝です!!

成城石井でコロナビールを買い乾杯


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