遠き山に日は落ちて 第6話 美術運送

美術運送

美術を始めて間がなかった頃は、毎月のようにコンクールに挑戦していました。

外に発表の場もなく、賞金目当てだったのと、優越感が欲しかったのだろうと思います。実際、賞を貰うと元気がでたものです。

日本国際美術展へ出品した時の話。

廃材の柱を拾って来て、アクリル絵の具で黒く塗り、それに単車のマフラー4本をボルトで取付けた作品を作りました。

マニアの間では有名なRZという単車のマフラー(排気管)を8本持っていました。全て道端で拾ったものです。不思議なことですが、欲しいと思うと見つかるものです。

作品を、東京の上野にある美術館に搬入するために、某有名美術運送に依頼しました。

松原で借りていたアトリエは、100坪ほどあり、4人が共同で使用していました。僕のほとんどの作品は、その庭を使って制作していました。

アトリエで待っていると、運送屋さんが、体育会系のがっしりした学生アルバイトを4人引き連れて来ました。

門扉を開けると、僕の作品を通り越して、中庭までドヤドヤと入ってきました。

運送屋さんは、怪訝な顔をして「作品どこですか?」と聞きました。

「運びやすいように、入り口にだしていますー」と僕は答えました。

「作品どこですか?」

「そこにあります」

「作品どこですか?」

「それです」

「うそでしょ」

「それです」

少し間があり、

「うそでしょ、これを出すつもりですか」

「これです」

「本気ですか、審査員に知っている人いますか」

「しりません」

「やめときなさい、お金かかりますよ」

むっとした僕は、出来るだけ感情を抑えて

「おいくらぐらいですか」

「まあ10万円ですね」

「いくらかかってもいいから、今すぐ運べ!」という言葉が、固まりになって、喉仏をおしのけ、口の中までせり上がってきたのを飲み込みました。

僕は、言葉が物質だと、初めて知った。

学生が必死に笑いをこらえていました。

「これを東京へ運ぶそうだから、アルバイトで誰か運んでやれよ」

「…分かりました。よそをあたってみます。」

学生たちがとうとうこらえきれずに、ふきだしてしてしまいました。

「ほんとにこれ、搬入するつもりですかあ」

「集荷した作品を東京へ運ぶのは私の役目ですから、これがほんとに荷解き場に来るか見とどけますわ」

運送屋は、捨て台詞を残して、ドヤドヤと出て行きました。

気を取り直して、別の運送会社に電話を入れてみました。

すると「今からその展覧会用のトラックが東京へ出るところです」と返事が返ってきました。

必死の口調で「1時間だけ出発を遅らせて下さい、今から作品を必ず持って行きますから!」と頼みました。

赤帽に無線を流してもらって、作品を取りにきてもらい、なんとか間に合いました。

僕は、テレビドラマの様な結末を期待していました。

二日後、運送会社から電話が入りました。

現実は、ドラマのようにはなりませんでした。

「搬出の作品、どうされますか?」

審査結果が出るには早すぎると思いましたが「落選ですか」と聞きました。

「サイズが規定より大きかったので、受け付けてもらえませんでした」と返事が返って来ました。

規定ぎりぎりの大きさに作った作品が、何度も積み替えている間に広がってしまったようでした。数センチのことでした。

この展覧会は、現代美術の登竜門的存在で、狭き門です。入選者の名前は各都道府県別に新聞で発表されます。

入選作品は、指定業者である某美術運送が、美術梱包をして搬出を行うことになっていました。

「来年は、必ず彼に作品を搬出させてやる」

まるでスポーツでもしている様な闘志が湧いてきました。

翌年、出品した新たな作品は、賞をもらえ、立派な梱包で返ってきました。

昨年の担当者が作品を届けたのではありませんでしたが、結果的には彼に感謝しないといけない羽目になりました。

その梱包の木箱は、自宅の狭い裏庭で、僕の書斎となりました。

リクオ


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